劇場版「銀河鉄道999」に込められたスピリチュアルメッセージ(後半)

玉置神社 スピリチュアルと映画

前半が長くなってきましたので、後半を改めて。

前半はこちら。

鉄郎「機械化人や機械伯爵を見ていると、永遠に生きることだけが幸せじゃない。限りある命だから、人は精一杯頑張れるし、思いやりや優しさがそこに生まれると、そう気がついた。機械の体なんて、宇宙から全部無くなってしまえと。僕たちはこの体を、永遠に生きていけるからという理由だけで、機械の体なんかにしてはいけないと気がついた。だから、アンドロメダの機械の体をタダでくれる星へ行って、その星を破壊してしまいたい」

星を破壊するとは何とも壮大ですが、闇の存在であるアンドロメダを破壊する、というのは人類の思いを体現していますね。
永遠に生きるとは何か?
肉体もしくは物理的な身体で永遠に生きることか?
物理体のない魂は永遠。魂は肉体を転生しているだけで、実際は永遠の存在であると言われていますね。
本作品では、ある意味、魂は機械だとかカプセルに転生しているとも言えるでしょう。

終着駅 惑星メーテル 機械化母星

「この星は、あらゆるもの全てが人間で作られた部品で組み立てられている。お前はあらゆるテストに合格した。しかも我々の英雄、機械伯爵まで抹殺した。その罪の償いに、このメーテル星を構成する部品の1つになって、惑星メーテルを永遠に支え続けるのだ。」

映画「マトリックス」でも、本来の人間は、エネルギーを生み出す電池として描かれていますね。発電工場のような所でカプセルに閉じ込められた人間は、仮想現実という夢を見ながらエネルギーをせっせと生み出している。
この類似性は、そもそもこの世界の真の姿を知っているからこそ描けたものではないかと思います。松本零士さんも「マトリックス」の監督も、スピリチュアルに傾倒しているとはよく言われていますよね。
人間はこの3次元世界で、「夢の中で夢を見て、その夢の中でまた夢を見て。。。」、の無限ループに嵌っている、その夢の1つの描写が、この人間という部品であり人間という電池なのでしょう。
こんな世界から一日も早く脱出したいものです。

ドクター・バン(半機械化世界を目指したメーテルの父)「私の魂はカプセルに姿を変えているが、そのエネルギーはこの惑星の中心を破壊し、バラバラに砕いてしまう力がある。メーテルが歯を食いしばり、部品となる同志を運んできたのは何の為だと思う?部品となった同志たちが、要所要所の重要部分に配置されているのは何の為だと思う?」

メーテル「私が連れてきた人々は、みな志を同じくする人々。機械帝国を破壊するために、身を犠牲にするのを厭わぬ勇敢な人々。私は泣きたいのを我慢して、そういう人たちを大勢ここに送り込んだのです。」

部品となった同士たちは、メーテル星の崩壊時に、断末魔のような叫びとして描かれています。
機械的存在を破壊するため身を犠牲にした人々でも、やはり「最後には死という恐怖には打ち勝てない」という描写か?
ここの部分は、私にはストーリー的には繋がりませんでした。

プロメシューム「宇宙で一番美しい体を与えた私を裏切るのか。永遠の命を授けてやったこの私を」

メーテル「そして永遠の苦しみも下さったわ」


3次元世界で生きることは苦しみでしかない。人間は転生を繰り返し、苦しみ、悲しみを何万年も味わってきた。そろそろこんな苦しみは終わらせたい。
だから、アセンションへの渇望感がこれまでにないくらい高まっているのでしょう。

メーテル星の崩壊

メーテルは父のエネルギーカプセルを投げ込むのを躊躇します。自らを否定し、破壊することになるから。
鉄郎は躊躇せず投げ込み。その瞬間、メーテルは絶望し、自身もろとも破壊されます。でも鉄郎が救います。

この描写、自らに巣食う低次元の存在を破壊し、離れることの難しさと、それをやり遂げて次元上昇することを示唆しているのではないでしょうか。
ここでは、メーテルは神ではなく低次元の存在であり、逆に鉄郎が神を演じているようです。

メーテル「私の体は、鉄郎のお母さんの体。私は、鉄郎のお母さんの若い頃の姿の生き写し。私は人の姿をした神。こうやってもらった体が歳を取れば、また別の体を移し替える。果てしない時間の中を旅してきた」

メーテルは機械の体でなく、肉体を与えられ、劣化したら別の肉体をまた与えられて転生する。普通の人間と違うのは、転生前の記憶も全て引き継いで、全てが繋がっていること。
我々人間は、死んだ後に全ての記憶を忘却して転生し、イチから人生を始めますが、次元上昇すると、転生前の全ての記憶も繋がる、と言われています。
「人の姿をした神」というセリフや、転生の記憶を全て持っているという描写は、まさに次元上昇した存在そのものですね。
ところで、時間城にあった鉄郎の母の剥製と、メーテルの肉体は、どちらかがクローンということでしょうか?

クレア「鉄郎さん、さようなら」

プロメシュームがクレアに倒されるシーンが続きますが、機械化人間とはいえ女王を破壊するとは、「クリスタル=水晶」の本来の力をよく表していますね。
「レムリアの水晶には膨大な情報が詰まっている」などとよく言われますが、今で言う半導体メモリーのようなものか、はたまたエネルギー的にも比類のない存在なのか?

地球に戻って

メーテル「私は時の流れの中を旅してきた女。でも、昔の体に戻るためには。。」

鉄郎「冥王星に。。。オレ待ってるよ。。もう、会えないのか。。。」

メーテル「いつか私が帰ってきて、あなたのそばにいても、あなたは私に気がつかないでしょうね」

冥王星に眠る、メーテルの本来の体に戻るということであれば、老化した体になるということでしょう。あんまり夢のあるストーリーではないですね。。。
もう少し広く解釈すると、新たな体に転生して、鉄郎よりずっと若い存在として現れるかも知れない。もしかすると娘としてとか。記憶を失わないメーテルだから、鉄郎を探すことはできるが、逆はない。

この3次元世界の無常さを、よく表現してくれています。

なぜか「なつかしさ」を感じる人もいるでしょうが、それは前世の欠片をちょっとだけ記憶しているからでしょうか。

メーテル「私はあなたの思い出の中にだけいる女。私はあなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」


思い出とか記憶って、何でしょうね。過去の積み重ねで人間は形作られていくのが当たり前のようですが、「今」を生きることとは真逆ですよね。
本作ではストレートにそのことは触れませんが、鉄郎の生き方は「今」を生きている、それがメッセージなのでしょう。
メーテルは逆に過去にとらわれているようで、ヒロインながら光と影のある存在なのが、また人気である理由でもあるのでしょう。

「今、万感の思いを込めて汽笛がなる。今、万感の思いを込めて汽車がいく。1つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。さらば少年の日々。」

城達也のナレーション。

そしてここでゴダイゴの「銀河鉄道999」がかかります。
主題歌の依頼は締め切りの12時間前だったとのことで、たった1日でこんな名曲を書いたタケカワユキヒデさんは、同じく神がかり的というか、スピリチュアル的というか。
関係ありませんが、この曲がヒットしていた当時のタケカワさんの表情とか雰囲気って、鉄郎によく似てる気がするのは私だけでしょうか。

「旅立ち」、「愛する存在との別れ」、「少年時代との別れ」、「大人への成長」。
さらに「この世界の仕組み」や「転生」、「次元上昇」、「アセンション」に至るまで、多くの要素が詰まった本作は、紛れもなく名作ですね。
数年に一度は見たくなる映画です。

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