劇場版「伝説巨神イデオン 発動篇」
1982年公開
Amazon Primeにて鑑賞(2020年)
イデオン(おさらい)
ガンダムの富野由悠季監督の最高傑作とも呼ばれる、「伝説巨神イデオン」。
ロボットアニメなのに、肝心の主役ロボット「イデオン」が、「巨大ジム」だとか「幼稚園パス」だとか「作業車みたい」とか、とにかくデザインがひどい。合体したらマシですが、合体前の各メカはそれはひどいもの。
そもそも、おもちゃメーカーとのタイアップ企画が先で、そこにシナリオを後付けしたのだとか。
このひどいデザインのロボットを、「第6文明人の遺跡」と富野監督が(半ばやけっぱちに?)定義したことから、ストーリーは宇宙文明同士の衝突、最後まで分かり合えず殺し合う展開が延々と続くものへと大変化します。
しかし、子供向けにロボットのおもちゃを売るはずが、難解過ぎるストーリーは、子供たちには受け入れられることもなくあえなく打ち切りとなり、最終話は意味不明なまま唐突に終わってしまうのです。
しかし、熱狂的なファンの存在により、本来描きたかった物語は映画版として復活。2部作中、前編がTV版の総集編、後編は本来制作予定だったTV版の最終4話をもとに構成した事実上の新作公開となり、ようやくストーリーの全貌が明らかになるのです。
アニメでのロボットは人が操縦するのが基本中の基本ですが、イデオンはある意味、無限力を持った存在「イデ」=神が動かします。なので、パイロットの意図しない動きをしたりします。同じくイデにより動かされている母船「ソロシップ」も、神が動かしているようです。
その力は、惑星を破壊し、彗星にも対抗するという、人類の想像を超えたもの。
よく「ロボットアニメで最強なのはどれか?」という議論がありますが、そこで筆頭に挙がるのがイデオンなのです。ガンダムでもキュベレイでもありません。
地球とは
我々はこの星を「地球」と呼んでいますよね。
異星人は母星を何と呼ぶのでしょうか?イデオンでは、同じく「地球」という言葉を使っています。劇中では「地球」はそれぞれの2つの星を指し、使い分けもしないので、頭が混乱しますが。。。
「地球」という言葉は、我々地球人類だけのものではない。
異星人でありながら姿形をそっくり、愛を交わし、子供まで作ることかできる。
ヒューマノイドは、地球の専売特許ではない。神の作りし人型の生命体は、宇宙の至るところに存在する。
そんなメッセージが込められている気がします。
絶望と転生
劇中では、主人公の恋人も、ヒロインも、子供たちも、主人公まで、ことごとく殺されていく。そこには残された者たちの怒り、無念が溢れかえっています。
この「残された者たち」というのがポイントですね。死んだ当人の思いは一切出てきません。
死者は別に悲しんだりしていない。むしろ3次元から解放され自由になった喜びに浸っているのではないか?
そして最後には、地球は彗星の衝突で全滅、異星人の母星も2つに割れて滅亡。この彗星は、イデ=神の意図により、両惑星に衝突させているような描写です。
どこまで行っても理解し合えない人間という存在に神が絶望して消滅させた、ということでしょうか。
そして両惑星が全滅した後も、なお戦い続ける生き残りの両文明人。そして、双方とも完全に全滅するのです。
ここからの描写がすごい。
両文明人の意識体は一糸まとわぬ姿となり、宇宙空間を縦横無尽に飛び回る。
さっきまで敵同士で戦い合っていた者たちの意識体が、一切の憎しみも怒りもなく、直ちに意識を通わせ、尊重し合う。生きている間は全く分かり合えなかった敵同士が。
肉体でいる間は、意識は肉体に閉じ込められ、恐怖、怒り、悲しみ、憎しみに支配される。
肉体を失って意識体のみになると、意識同士の交流には何の障害もなく、光と愛のみになる。意識の次元が上昇し、そこには恐怖も怒りも憎しみもない。
そして、意識体は転生先の宇宙の何処かへ去っていく。
この描写、肉体を持って3次元世界で生きている間は、絶望しかないこと、救いは死後と転生にある、というメッセージではないでしょうか。このクローン界の真理を見事に描いています。
アセンションと3次元
今を生きる我々は、肉体を持ちながら次元上昇=アセンションを果たすことができるとも言われています。だがそれも、期待を持たせて絶望させる仕掛けの1つに過ぎないとも言われます。
肉体を持ちながら次元上昇するのか?
それとも、クローン界の肉体から真の世界=イデア界に意識を移すことで、次元上昇した世界に生きることができるのか?
イデオンでは、肉体を持ちながらの次元上昇は不可能という描写です。救いがないですが、もしかしたらそれも真理なのかも知れません。
こんなことを感じながら、アマゾンプライムにしかなかったイデオン劇場版は1週間で3回も見てしまいました。
心に不思議な刺さり方をするドラマでした。
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